「野球選手」ではなく「野球人」になれ!行動力で切り拓いた活躍への道のり
活躍目覚ましい人の秘密を紐解いていくと、自分自身の信念・ポリシーを軸としながら、ポジティブに課題へ向き合っているケースが実に多い。信念・ポリシーは人生経験の中で培われていくものだが、スポーツをきっかけとして信念・ポリシーを深めたことがある人も少なくないだろう。
今回は、そんな経験を持つメンバーへのインタビューだ。
メンテナンス事業部掛川店で、住宅メンテナンス営業を担う、奥川さん。入社4年目にして、掛川店を牽引するキーパーソンとして活躍している。そんな奥川さんの活躍の裏には、小学生から大学生まで取り組んだ「野球」で培った、ゆるぎないポリシーがあった。
社会人の方はもちろん、中学生・高校生・大学生の方も、ご自身の体験と照らし合わせながら、未来の自分をイメージするヒントにしていただければと思う。
- 野球から学んだことを仕事へ活かしている、活躍社員インタビュー
- 監督・コーチの言葉からの学びとは?
- 仕事を通じて確信したポリシーとは?
最近ハマっていることはスニーカー集め。
社会人、怒涛の3年間
取材班 奥川さんがアイジーへ入社されて3年が経ちました。店舗の異動や職種の転換などいろいろなできごとがありましたが、振り返っていかがですか?
奥川 プレッシャーをプラスに変えてきたのかなと思います。入社当時はとにかく目立ちたくなくて。どうやって無難にやりすごそうかということばかり考えていました。上司や先輩が声をかけてくれていたのですが、「目立たずに結果を出したい」と思っていました。結果、目立つことはなかったですが、成果もついてきませんでした。
取材班 今の姿からはイメージできないですが、何か心境の変化が?
奥川 2年目に、静岡店から掛川店へ異動したとき、掛川店の店長から言われた言葉がきっかけになりました。「1年目はダメだったよね」と。嫌な言い方ではなく、事実をはっきり言葉にされたことで、自分が現実に向き合えていなかったことに気付きました。
取材班 そこから、行動にも変化が?
奥川 店長のアドバイスもあり、無難にやりすごすことはやめて、目立つことにも積極的に取り組むことにしました。たとえば、社内イベントのリーダーに手を挙げたり、プロジェクトメンバーとして課の施策運営に携わったり。
目立つと仕事の量が増えて大変なこともありますが、その分できることが広がり、結果として成果が出るようになりました。また、目立つと周囲から注目されますが、注目とはつまり期待。その期待に応えたいと思うようになりました。
取材班 行動の変化が、きちんと成果に結びついていったのですね。
奥川 成果に結びついたものもありますが、うまくいくことばかりではありません。ただ、そこで得た気付きを、3年目は「計画」として活かせるようになりました。最初から計画性をもつことはできなかったと思いますので、2年目にしっかり「行動」したからこその気付きだったと思います。
今年は4年目ですが、職種がアフターサービスから住宅メンテナンス営業へと変わりました。「実績」を出していく時期だと捉え、店長からの期待に応えるべく取り組んでいる最中です。
「野球選手」ではなく、「野球人」になれ。
取材班 入社以来、文字通り怒涛の3年間でしたね。奥川さんが大事にされているポリシーは何ですか?
奥川 「素直さ」と「行動力」、この2つです。
取材班 とても明確ですね。そのポリシーを大事にしようと思うようになったきっかけは?
奥川 小学生から大学生までやっていた野球の経験が大きいです。
特に、高校生の時に監督から言われた、
「野球選手」ではなく、「野球人」になれ。野球をやめた時に「人」が残る。
という言葉に強く影響を受けました。
取材班 どういう経緯があったのか、詳しく教えてください。
奥川 私が野球を始めたのは小学2年生で、地域のリトルリーグ(硬式)に入ってピッチャーをやりました。東海大会で強豪校と競り合うこともあり、負けず嫌いな性格もあって「やるからには勝ちたい」とのめり込みました。
取材班 小学生から野球を楽しまれていたのですね。
奥川 目標にしていた先輩を追いかけ、藤枝明誠中学校へ入学しました。
中学時代は、仲間と一緒に同じ目標を目指して取り組むのが楽しかったですし、技術面のレベルも学年が上がるごとに自分の成長を感じられることも楽しかったです。
一方でくやしい時期でもありました。ひとつ上の先輩は強かったのですが、私たちの代は弱く、「不作の年」と言われていました。嫌になって野球をやめてしまう仲間もいましたが、私自身は高校野球を見据えて地道に取り組みました。
取材班 中長期の目標を見据えてコツコツと取り組む姿は、今の奥川さんの姿に繋がっていそうですね。そしていよいよ高校生。
奥川 高校に上がったタイミングで、ピッチャーから野手へ転向しました。中学の時点で自分のピッチャーとしての実力は分かってきていたことと、藤枝明誠高校は野球の強豪校で県外から優秀な選手も大勢入ってきますから、他のポジションで頑張ろうと気持ちを切り替えました。
取材班 大きな決断だったと思いますが、前向きに捉えて取り組まれていたのですね。
奥川 その後です。2年生のときにケガをして、その後も不調を繰り返すことがありました。
「もう野球はできない」と腐ってしまいました。
取材班 それは辛い時期でしたね…
奥川 そんな中、3年に上がるタイミングで、当時の監督からチーム全体に向けてメッセージがあったんです。そこで言われたのが、「野球選手」ではなく、「野球人」になれ。野球をやめた時に「人」が残る。という言葉でした。野球以外の私生活も含めて、人としてどうあるべきなのか、ということを問われたわけです。
この言葉を聞いて、素直に「そうだな」と思ったんです。「このまま社会に出たら何も残らない」と思い直し、もう一度仲間と一緒に自分にできることをやろうと切り替えることができました。
取材班 ある意味、厳しさのある指導だったのですね。
奥川 確かに監督は厳しい方でしたが、厳しいとは自分で立つこと。目標も自分たちで決めることだと教わりました。なのでチームの目標を決めるのは監督やコーチではなく、3年生が自分達自身で決めて、自分達で実行することになっていました。
取材班 奥川さんの代では、どのような目標を立てたのですか?
奥川 私たちは、「一心」という目標を立てました。私たちの代は「仲間を大切に」という軸を大切にしてきましたので、キャプテンを中心にメンバーで話し合って目標を決め、高校野球を駆け抜けました。
私自身も気持ちが切り替わったこともあり、このままでは物足りない、大学でも野球をやろうと思い、大学進学後も野球を続けました。
受け入れる素直さが、お互いのリスペクトに繋がる。
取材班 高校と大学では、活動の雰囲気も変わるのでは?
奥川 大学ではサークルではなく、強化クラブでもある野球部に入部しました。ケガも治ったので、やる気満々で取り組みました。大学生活は自由ですから、バイト優先、就活優先、遊び優先、いろいろなスタイルの人がいます。誘惑も多かったですが、サボらずに取り組めたのは仲間が良かったからだと思います。卒業までやり切りました。
取材班 大学時代の印象的なできごとはありますか?
奥川 監督と折り合いが合わず反発していた時期がありまして、その時にコーチから「素直になれ」ということを言われたんです。「まずは受け入れてやってみろ」と。
信頼していたコーチだったので言われたとおりにやってみたところ、監督との関係性も良くなりました。受け入れることで、自分から相手へのリスペクトが生まれ、それが相手から自分へのリスペクトに繋がるのだと学びました。
取材班 受け入れることがリスペクトに繋がる。そのための素直さだと。
奥川 もちろん無条件に誰の言うことでも聞けばいいわけではありませんが、自分よりできる人の言葉、リスペクトできる人の言葉は、斜に構えずまずは受け入れ、耳を傾けるようにしています。
今思うと、要所要所で指導者が先々を見越したアドバイスをくれていました。こうした指導がなければ、ひねくれて腐ったままだったかもしれません笑
「愛されキャラ」で、応援者を巻き込む
取材班 人間力や素直さは、社会人になってからも大切な要素ですよね。就職活動にも影響はありましたか?
奥川 就職活動は部活動に引っ張られることなく、自分のやりたいことにフォーカスして決めていきました。アイジーに入社した理由は直感なのですが、社員の方の言ってることとやっていることが一致していて、こういう人たちと一緒に働ければ、お互いにリスペクトしあえるのではないかと思いました。
取材班 実際に働いてみていかがでしたか?
奥川 1年目にお世話になった静岡店の皆さんからは、この「リスペクトしあう関係」というものを学ばせていただきました。本当に尊敬する上司・先輩に恵まれました。
社会人になって改めて思うことは、「素直だと周囲から愛される」し、それがいかに大切なことかということです。愛されるということは、応援してもらえるということです。社会人として成長し実績を出していくうえでも、愛される人間性であることは、とても重要だと思います。
大切なのは、素直さと行動力!
取材班 この記事を読んでくださっている、中学生・高校生・大学生の方へ、メッセージをいただけますか?
奥川 お話ししてきたように、「素直」「行動力」この2つが、社会に出たときにはとても重要です。
特に「行動力」です。動かないと成功はありません。考えたところで何も変わらないので、自分を変えるための第一歩として、考える前に動く。考えながら動く。今の条件の中で最大の成果をどう出すかを考え、アクションを起こしていくことだと思います。
中学生のときにケガをして腐っていた時期があったとお話ししましたが、あの時の自分に今の自分がアドバイスをするなら、「できることに集中しろ」と言うでしょう。ケガをしたのが肩だったので、投げることはできなくても、打撃や走り込みなどの練習はできたはず。
1つダメだから全部やめるのではなく、できることを突き詰めて集中することで道は拓けます。
もちろん「計画性」も大事です。ですが「行動」が先。最初から計画性を持とうとしても経験がなければ計画は立てられませんし、計画を立てても動かなれば意味がありません。なので「行動力」が重要なのです。
勉強や部活動そのものの上達を目指すことももちろん必要ですが、私が監督から教わったように「人」としてどうなっていきたいのかを見失わずにいれば、きっと楽しい未来に繋がると思います。
スポーツで高みを目指すことで見える景色が変わることは間違いない。
しかし、それが叶わず苦難や壁にあたった時にも、景色が変わることがある。
景色が変わるきっかけは、身近な人、指導者、先輩など、いろいろな人間関係の中で生まれている。そのきっかけを捉えて、行動に移し、自分のものにしていくことが、楽しい未来を切り拓くヒントなのかもしれない。
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