「震災を風化させない」 東日本大震災から12年。被災地のいま、ボランティア先を訪ねて。
- 働くことの意義とは。ボランティア経験で培った仕事観・人生観。
- 「東日本大震災を忘れてはならない」、風化させないために伝えよう
- 被災された方々の苦労は計り知れないが、いまを生きる強さ・逞しさを持っている
- 復興は進んでいるが、津波の痕跡・弊害はのこっている
マネージャー
横浜支店 副店長
アフターサービス課 主任
いざ東北へ
取材班 今回、なぜ皆さんで東北旅行をしようとなったのですか。旅の目的はありましたか?
臼井さん 私は2011年4月、東日本大震災の直後にアイジーコンサルティングに新卒入社しているんです。そして、入社直後の2011年7月に、宮城県石巻市にて共に災害ボランティア活動に参加させていただきました。このボランティア活動が私の社会人人生のスタートであり、その原体験が自身の仕事観に刻まれています。人のために働くことができる会社に入社できて良かったなと思っています。そして、産休・育休を経て横浜支店に帰ってきたときに、「そういえば、当時、一緒にボランティア活動をした浅岡さん、相川さんと今も一緒に働いているな」と。震災から12年、干支が一周するこのタイミングが一つの節目だと感じ、もう一度東北を訪れたいと思ったんです。そこで、相川さん、浅岡さんにお声がけしました。
浅岡さん 当時、石巻市のボランティア活動には14名の社員が参加したのですが、12年経ち、その時のメンバーがちょうど横浜支店に3名揃っていたんです。これも何かの縁だなと。当時、ボランティア活動をさせていただいた個人宅のOさんとは縁あって今も年賀状などの交流を続けているんです。せっかくなら旅行をかねて会いに行っちゃおうとなったんです。
取材班 ボランティア先を訪ねる、素敵ですね。
臼井さんは、東日本大震災直後の日本の混乱期に入社されたのですね。そして入社数か月後に被災地でのボランティア活動。なかなか体験できることではないですね。
臼井さん はい。仕事を覚える前にボランティア活動に参加させていただいたので強烈に印象に残っています。またボランティア活動では戸建て住宅の復旧作業を行ったのですが、汚泥の中、床下に入って作業する相川さんがめちゃくちゃカッコよくて。この仕事の意義を感じました。
相川さん 私は入社以来、アフターサービス(施工技術職)としてシロアリ防除工事・床下での施工を行っていますが、その仕事のスキルをボランティア活動画で活かすことができましたね。
ボランティアは私にとっても非常に良い経験でした。また東北は良いところですから、私もまた訪れたいなと思って、このメンバーとの旅なら楽しそうだなと、二つ返事で旅行の参加を決めましたよ!
浅岡さん そして、2023年9月に1泊2日の弾丸東北旅行が決まりました。ボランティア先のO様にお会いすること、被災地の今を見たいというのもあったのですが、単純に当時を思い出しながら楽しく旅行しようという、同僚+臼井さんの娘さんと仲良し旅をしたという形です。
被災地の今
取材班 旅行では、ボランティア先であるO様に会いに石巻市に行かれたんですよね。
浅岡さん はい、O様のお宅は当時、報道でも良く出ていた多くの子どもたちが犠牲となった大川小学校の近くにあるんです。被害が甚大な地域にありまして。地域一帯の悲惨な光景は忘れられません。そこがどのように復旧しているのか。この目で見てきました。
相川さん 大川小学校から先は、空気がガラッと変わったのを覚えています。この旅行の話をもらったときに、当時の光景がフラッシュバックしました。今どうなっているか、気になっていましたので私もぜひとも訪ねたいと思っていました。
臼井さん ボランティア活動を行ったのはたった3日間なのですが、3日間ともO様宅の作業をさせていただきました。7月の暑い時期にコバエが飛ぶ中、皆で活動したのを覚えています。汗や虫を気にする余裕も無かったですね。泥を運ぶバケツリレー、男性陣による船の移動作業。思い返すと凄い体験ですよね。
浅岡さん そして、こちらが現在の石巻市です。もう本当に全部綺麗になって、ボランティアを行ったお宅も残っていましたし、道路も普通に整備されていました。いらないものは全部壊されたので、廃虚みたいな建物はありません。ボランティア先であるO様のお宅が現存していたこと、2011年当時、瓦礫や汚泥などで溢れていたその前の道路が綺麗になり新しく防波堤もできていました。変わった部分と変わっていない部分があり、懐かしい思いになったのと、復興ではないですが良いように変われたのを目の当たりにし、嬉しく想い、感慨深かったです。
浅岡さん そして、ボランティア先であったO様にお会いしました。O様のご家族皆さんのお元気な姿が見れて嬉しかったです。また当時、私たちが活動したのはたった3日間なのですが、当時のことを凄く覚えてくれていて。ボランティア後に私がお送りしたお手紙を保管してくれていて、それも嬉しかったです。
相川さん O様が、わざわざ手紙を持ってきてくれたんですよね!そして、私がその手紙を浅岡さんの前で読む(笑)。ボランティア当時を振り返り、話が弾みましたね!町のカフェ(集会場のような皆が集う場所)にてO様とお会いしたのですが、本当に快く迎えてくださいました。このあたりは漁師町で、漁業をされている方が多いのですが、町の皆さんの憩いの場になっているそうです。町の皆さんの温かさを感じました。
臼井さん またこの12年の変化など、被災地の現状を知ることができました。震災前、O様は自宅と作業場が同じ敷地内にあったのですが、震災後はこの地域は居住地として住んではいけないと地域となってしまったそうです。作業場としての使用は可能とのことで、現在は作業場としてのみ使用しているそうです。
取材班 12年経ち復旧が進んでいるとはいえ、まだまだ課題がたくさんあるのですね。ということはO様は、現在は別の場所で生活されているんですよね。
浅岡さん はい。震災後、仮設住宅に入居されたそうです。今は新居に住まわれているそうですが、それが3年前からとのことなので、9年ほど仮設住宅で生活されていたと思います。
取材班 私たちが知らない被災地の現状がたくさんありますね。
臼井さん 現地へ行き、一番変わっていてびっくりしたのが、8メートルの高さがある立派な堤防ができていて、それが衝撃的でした。それがあることによりO様が「牢屋の中で仕事しているみたい」と感じると仰っていて。安全のためではあるのですが、なんだか複雑な気持ちになりました。
相川さん この堤防を作るときは現地の方々から反対があったと仰っていました。8メートルの堤防を作っても、3.11クラスの津波がきたら耐えられないというデータも出ているらしいんですよ。
臼井さん 何が正しくて何が悪いのか分からないですが、現地の皆さんは色々なことに折り合いをつけて頑張っていらっしゃるんだなと改めて感じました。
取材班 被害が甚大であった石巻市立大川小学校にも視察に行かれたのですよね。そちらはいかがでしたか?
臼井さん はい、12年前と見比べてきました。多くの子どもたちが犠牲となった場所です。今でも思い出すと居たたまれないですよね。大川小学校ですが、当時のまま残っており、いまは「石巻市震災遺構大川小学校・大川震災伝承館」として犠牲者の慰霊・追悼の場とするとともに、震災被害の事実や、学校における事前防災と避難の重要性を伝えていくことを目的に一般公開されています。
相川さん 大川小学校が観光地になっていたことは衝撃でした。忘れてはいけない出来事でしたが、当時、リアルタイムで現場を見ていたので凄く複雑な気持ちになりました。現地の方々は深堀してほしくない記憶なんだろうとは思いながら、ただ忘れてはいけないことですし…。
浅岡さん 当時、大川小学校を「壊す、壊さない」で町で議論になったとO様も仰っていましたね。
無くしちゃったた方がいい、残すとずっと嫌な思い出が残ってしまうというからという意見も地域ではあったそうです。
相川さん そこは凄く強烈でした。私は個人的には、本当にあっという間に12年経ってしまったなと思うのと同時に、その被災地の方はやっぱり大変な12年を過ごしていたんだなっていうのはすごい 感じましたし、時間の経ち方・進み方が違うっていうとあれですけど、現地の方々にとってはこの12年はあっという間じゃなかったんだなって、色々大変だったなって凄く感じました。
臼井さん O様にお会いでき、被災地のいまを見ることができ、良かったです。本当に良い時間を過ごすことができました。
取材班 石巻市の視察・O様の訪問以外にも、何かされたのですか?
浅岡さん はい。宮城県南三陸町にある「南三陸ホテル観洋」さんに宿泊しました。南三陸ホテル観洋さんは、震災当時、僅かな時間で町が押し流され「地獄絵図」と化した中で、勇敢にも営業をやめることなく、さらに行き場を失った被災者たちに部屋を提供したホテルです。そこの女将の阿部さんの有志が素晴らしく、震災当時、話題になっていたので記憶にある方もいらっしゃるかもしれません。
臼井さん 2012年、震災の翌年に社員旅行で東北へ行った際にも南三陸ホテル観洋さんに宿泊し、女将さんのお話を伺ったんですよね。お話も、旅館もとても素晴らしかったので今回も泊まりたい!と思い、私が予約を取りました。そして幸運にも女将さんに会うことができました!!
相川さん お料理も美味しく、お風呂も最高!大浴場からの朝日が格別なんですよね。満喫しましたね。そして翌日には、南三陸ホテル観洋が運航している「語り部バス」に乗車しました。これも1つ、旅で実施したかったことです。震災を風化させないために、ホテルスタッフの方が町をバスで案内してくれるんです。こちらも良い体験でした。
浅岡さん その後は、観光船に乗ったり、牛タンを食べたりと、旅を満喫しました!改めて東北は良い所だなと思いましたし、定期的に訪れたいと思います。4人旅、最高でした!
震災から12年、今伝えたいこと
取材班 今回、東北を訪れ、色々と感じることが多かったようですね。最後に東日本大震災から12年経ち、今思うこと、皆さんに伝えたいことなどあればお願いします。
相川さん この出来事は、今後弊社に入社してくる若いメンバーとかにも伝えていかなきゃないけないと思います。現在の仕事とリンクする住環境を守ることの大切さや、東日本大震災という未曽有の大災害において会社として社会貢献を行ったことも含め、当時ボランティアに参加した私たちが、この出来事を風化させないためにも伝えていくことが使命だと思っています。
あとは、本当に単純に人間の力ってすごいんだなというか、これだけのことがあっても、復興してすごく元気で生活している方々がいらっしゃるっていうのは、逆に僕らが現地へ行って元気もらいましたし、人間の底力って凄いなっていうのを感じましたし、その強さやたくましさも伝えていきたいなと思います。
浅岡さん 今思うと 震災当時にアイジーコンサルティングが、半数以上の社員を会社の経費でボランティア派遣をしてくれたことに感謝しかありません。社会貢献・社員の成長など色々な捉え方はあると思いますが、企業としてボランティア参加希望者を募り、特別休暇として給与を減らすことなくボランティアに専念できる環境で社員を被災地に 送り出すことを決断してくれたんです。本当に貴重で素晴らしい体験をさせていただきました。
また、震災翌年の2012年には東北への社員旅行もありました。これは、ボランティアに参加できなかったメンバーにも「伝える」ためという理由もあったと思うんです。そういった企業姿勢に感謝です。
地震大国日本において、今後、弊社の営業エリアである関東や東海地域でも大地震が起こり、甚大な被害・影響が出てしまうこともあるかもしれません。東北へ行き、震災を経験された方々の言葉を聞くと、言葉だけでなく具体的な安全対策をしっかりしようと痛感します。「防災対策は大切」とは皆思っていると思いますが、どこか他人事、後回しにしがちです。現地の方の言葉は、やはり 重みが違います。今回の経験を多くの人に伝えていきます。
臼井さん 冒頭でもお話しましたが、被災地でのボランティアは社会人1年目の私のはじまりなんですよね。人のために働くということ、人のために働くことができる会社だということの原体験であったので、東北へ行くと、その新卒当時の気持ちに、初心に戻れるので、これからも大切にしたいなと思っています。
実は、震災後、東北へ何度か足を運んでいます。やはりそれは、自身の原体験があったからで、他人事ではなく自分事として震災を捉えているので、定期的に東北に行きたくなるんですよね。 今回、4歳の娘を連れていったのですが、また12年後、娘が中学生・高校生となり、いろいろな事が分かるようになったら、また一緒に行って、「お母さん、ここでこういうことしたんだよ。」と娘に伝えたいなと思います。
今回、一緒に体験した浅岡さん・相川さんと東北へ行けて、とても良かったですし、より想いも深まりました。また、初心に立ち返れたなと思います。石巻は、私の原点です。「ここが私のアナザースカイ!」
浅岡さん 石巻は、私たち3人にとって、思い出の地、「アナザースカイ!」ですね!!
今回、私と相川さんと臼井さんが東北旅行することに対して、震災後に入社した横浜支店メンバーは不思議がっていました。「あの3人、こんなに仲良かったかな?」と。私たちには、被災地でともにボランティア活動をしたという体験があり、その共通体験を通した絆が自然とできているんですよね。
この東北旅行を通して、共に働く横浜支店のメンバーにも「 過去にこういったことがあったんだよ」「こういう風に会社でボランティア行ったんだよ」と、話すきっかけになりました。周囲に良い影響も与えられたのかなと思います。
「東日本大震災を風化させない」。周囲に伝えていくことを、これからも行っていきます。
2011年3月11日に発生した東日本大震災。未曽有の大震災で記憶にある方も多いだろう。弊社でもボランティア派遣等を行ったが、その時の体験が使命感が、会社・社員に根付いている。甚大な被害を受けた地域が再生していく。被災された方々の辛さは計り知れないが、その力強さ・逞しさに感銘を受け、勇気づけられる。地震大国日本において、防災対策は重要だ。日本各地で大型地震が発生するたびに「防災」が呼びかけられるが、時が経つと忘れてしまう。「東日本大震災を風化させない」。社員に、家族に、関わる全ての人たちに伝えていくこと、防災意識を高めていくこと、これは住環境に携わる我々の使命だと感じている。